ここ5年ほどずっと、アイデンティティの統合というテーマについて、探求し続けている。
だいたい、35歳以上の、自己実現が一通り終わった感のある大人に起きる「自己分散(生田造語)」という現象がある。
確立した自己、有能な自己が何個か生まれ、今後5年間コミットすれば、どれでも行けるけど、全部だと中途半端。
こんないくつもの可能性ある自己が分散している状態。
そして、これらの自己を統合することが、できると真の自己が出現し、
その統合的な自己を選択することで、自分の真価が発揮される。
まぁ、そんな理論を作って、現在も実践中。
その中で、とにかく自己を構築する信念で強力だったのが、この問い。
「私は何者であって、何者でないのか?」
例えば、私であれば、
私は発明家であって、講師ではない。
私は発明家であって、起業家ではない。
そして、私は、
発明家としての、講師であることはできる。
発明家としての、起業家であることはできる。
しかし、発明家でない、何者になることは選ばない。
そして、発明家としてしか、生きられないと諦めた。
しかし、そうすると、あまたの葛藤が発生する。
その時は、
「信念の強化」と「葛藤の統合」を行う。
色々と起きるが、
それでもなお、私は発明家として生きる。
それでもなお、発明家としてしか生きられない。
「それでもなお」という言葉は、信念の強化にとっても有効♪
そして、こんなふうに言い切ると、それをやれればかっこいいが、
私たちは、弱さもあるので、ここで、また新たな葛藤が生じる。
そして、それを統合する。
そのためには、葛藤を生み出す内なる自己を特定し、その存在意義を理解する。
そして、統合的自己へ目的レベルで統合する。
この辺りは、詳細は割愛。
自己の選択こそが、世界の捉え方(定義)を変える。
世界の捉え方が、自己の考え方(思想)を作る。
思想が、思考を作る。
そして、思考が、決断を作り、行動を作り、現実を作る。
「私は何者であって、何者でないのか?」
しかし、この問いはリスクが高い。
ちなみに、毎日毎日そればっかりフルコミットでやってきて、それ自体が仕事でもある私が、
自己統合された、真の自己に気付くのに2年間の1万時間。
そして、この発明家が産声を上げ、自己出現するのに、2年間1万時間。
そして、いよいよ、発明家が世界に羽ばたき自己実現の入り口に立つのに、2年間1万時間。
ここまで、足掛け6年かかっている。
そして、これからの2年間、合計8年間の月日をもって、
ようやく真の統合された自己の実現がされていくのだろう。
終わりのない旅、自己探求をするには、なんとなくだと逆効果。
だたし、逆効果の陰陽もある。
リスクの陰陽も、ど真ん中に生きる陰陽もある。
だから結局は、
「私は何者であって、何者でないのか?」
から、始めるしかない。
ああ。人類は、こんな問いなんてやめてしまえばいいのに。
「私は何者として、どこへ向かうのか?」
そしたらみんな、第1レイヤーの自己実現で、ハッピーなのに。
しかし一度自己実現した、大人たちがみんな真の自己探求をする時代。
まぁ、その時代の陰陽もあるが、楽しく自分を生きていきましょう♪
僕も今自分を使った、社会実験中です。
自分の構築した理論通りに、自己を扱って、本当に世界に「人類の進化」というイノベーションが起こせるのだろうか?
一歩一歩、歩んでみますね♪